2008年12月15日月曜日

バブル経済

バブル経済とはなんだったのでしょうか?テレビ、新聞でも、いまだにこの文字が飛び交っています。現在の日本は、「バブルの後遺症」に苦しんでいるということも、日を措かず耳にします。その割には、バブル経済が具体的になんだったのか、何をもたらしたものだったのかは、あまり知られてはいないようです。あるいは、よく知ってはいても、自分自身もバブルに踊ってしまったクチのために、怒りを持つことができないでいる人もたくさんいます。私たちがもし、自分の問題として、このバブル経済にみられた諸現象を反省できなければ、次の時代を大変な混乱の中におとしめることになるように危惧します。次に、バブル経済に関して、私なりの理解を綴ります。+++++++++++++++++++++++++++++++バブル経済は、プラザ合意による急激な円高に対抗するためのものでした。日本は戦後、紡績、鉄鋼、造船、家電製品、自動車、半導体と、世界を席巻する産業を、次々に送り出してきました。日本は経済大国になっていましたが、それを自覚する雰囲気はまだ希薄でした。ところが、プラザ合意により、急激な円高が始まると、2つの重要な現象が生じました。ひとつは経済的な面です。急激な円高に対抗できるように、徹底的な合理化を推し進めることが急務となりました。二つ目が、精神的な側面です。大国意識が芽生えたのです。こんな円高を設定しなければならないほど、世界は日本の技術力を脅威に思っているのか、と。各企業が円高に耐えうる合理化(工場のオートメーション化など)を推し進めるのには、潤沢な資金を必要としました。そのため、大きく二つの手法が大蔵省の指導により取り入れられました。ひとつは、投融資の活性化と、不動産資産価値のつり上げです。投融資の活性化は、株式市場に活況をもたらしたばかりでなく、住専問題で明らかになっているように、地上げ屋への資金調達にも手を貸すことになりました。これにより、企業は株式からの潤沢な資金と、資産価値が大幅に上昇した土地を担保にした巨額の資金を得、合理化を推し進めました。その結果、雇用を維持したまま合理化をやってのけるという魔法を成し遂げました。高い技術力を維持しながら、低廉な外国製品に対抗する力を持てたのです。しかし、それは労働者の犠牲の上に成り立っていました。豊富な資金の流れは、当然労働者の賃金を押し上げることにもなりましたが、物価はそれを上回る勢いで上昇しました。故意に高い物価水準に固定することで売り上げに占める利潤を増やし、その大幅な利潤を海外輸出する製品の価格を引き下げるために充てました。「逆輸入した方が安い日本製品」という逆転現象は、国内の物価高に支えられていたわけです。これにより、海外の安い製品に対抗できたのです。つまり、あまりに明白な「ダンピング」行為でした。アメリカがスーパー301条という法律を適用してダンピングとして摘発したのも、無理はなかったのです。ところが政府は、マスコミと知識人を抱き込んで、「アメリカは嫉妬している」、「悪いのは怠け者のアメリカ人の方で、働き者がもうけるのは自明の理だ」と事実にそぐわない宣伝を行うことを選んだのです。しかし、当時大幅な合理化に成功していた日本製品の優秀さのために、結局アメリカ国内の需要を抑えることができず、アメリカ政府も撤回せざるを得なくなりました。これによって、日本人は傲慢になりました。「ブツブツ文句を言ったって、日本製品を買わなきゃ、世界は成り立たないんだ。」バブル経済は、企業の合理化と、政府の累積債務を軽減できた段階で(愚かなことに、このときに累積赤字を減らす努力を怠りました)やめるべきでした。ところが、この手品のような、無からお金を生み出す手法の妙味を覚えてしまった管理者(administrator)は、とどまることを知りませんでした。ここから日本人は、精神を崩壊させていくことになりました。不動産投資の激増にのっかって、魑魅魍魎が暗躍するようになりました。地上げ屋による殺人が多数起こったのはこのころです。株式投資の活性化は、「日本企業を円高不況から救済する手品」から、日本の企業の根幹を揺るがしかねないものへと変質していきました。イトマン乗っ取り事件などの世間を騒がした事件は、政府の思惑を逆手に取りうることを示した事件でした。「影」の存在である筈の暴力団の経営する会社が多数設立され、産業界に姿を現すようになりました。空前の財テクブームは、日本人に残っていた輝きの最後の一欠片を、微塵に打ち砕くものでした。マル優の廃止は結果として、豊富な資金が行き場を失い、ごく普通の人が、財テクに走るように使嗾するようなものでした。日本全体に行き渡った投資熱に当てられ、かなりの数に登る人々が「金儲け」に狂奔しました。巨大な資金が流通したために、未曾有の好景気が訪れました。人々は高収入と大国意識とで、すっかり有頂天になってしまいました。節倹が美徳であるという風潮は、この時点で完全に失われました。衣料に典型的に現れたように、値段の高いものでなければ売れないという現象が起きました(食品ではグルメ)。たとえ質の良い製品でも、値段が実状より高く設定されなければだれも買わないという「異常」が続きました。その状態が長期間続いたために、商売をする人々が、真面目に商売する意欲を失いました。客を騙さなければ儲からず、たとえくだらない製品でも値段をべらぼうに高く設定すれば、争うように売れてしまうといった状況だったからです。そこでは、「商道徳」という言葉が滑稽にしか響きませんでした。倫理という言葉は、当然空疎化しました。産業の合理化と、好景気とは、労働者に「ゆとり」を与えませんでした。それどころか、「合理化しなければ会社が潰れる」という強迫観念の副産物として、強力な主導権を労働者に対して握った企業(「合理化の対象」にするぞ、という脅しが多用された。)は、好景気を理由に引き続き会社のために身を粉にして働くことを要求しました。強壮ドリンク「リゲイン」の「24時間働けますか」というイメージソングは、その風潮を表すものでした。家族を持つ会社人間に単身赴任を命じるという理不尽さを、当たり前のこととして受け入れなければならないような空気が、会社の中に蔓延しました。滅私奉公を求める会社の組織としての非情さと、「私は何のために働くのだろうか?」という人間として当然現れてくる疑問とのギャップに、人々の精神は大きく平衡を失い始めました。単身赴任や過剰労働による家族のふれあいの喪失、転じて人間性の喪失が、全国的に起こりました。人々は、人生の意味を見失い、「死んだ魚の目」のような、澱んだ目をするようになりました。倫理の無意味化と人間同士のふれあいの消滅は、その時に幼年期、少年期を過ごした世代に、悲しむべき傷跡を残すことになりました。暴力団は未曾有の好景気の波にのって、組織を爆発的に拡大していきました。暴力団は「影」に君臨するだけでは満足しなくなり、次第に表舞台に現れるようになりました。暴力団関係の会社が次々と設立されました。のうのうと暴力団がのさばる世の風を、やはり子供は敏感に感じとっていました。倫理の無意味化は、倫理的な行為をポーズだとしてせせら笑う、歪んだ精神構造を生み出すことになりました。精神の均衡と、人生の意味を見失った人々は自ら、バブル経済の隙間に暗躍した魑魅魍魎たちの予備軍へと変身していきました。子供はそれを敏感に感じとり、人間の命を食い物にして欲望を達成しても、誰もそのことをいけないとはいわないのだという、ニヒリズムが心に巣くうようになりました。青年は人生の無意味さと生きていくことの安易さから、若者らしい潔癖さとバイタリティーを失い、どんどん享楽的になって行きました。あまりに生きていくことが容易なために、進学用以外の勉強をすることに何の意味も見いだせなくなっていました。社会を成立させる根本である精神的エネルギーを、とうとう喪失してしまいました。尾崎豊の歌が流行しました。昭和天皇が亡くなりました。新しく即位した現天皇は、その時の国内の現状に懸念を表明しました。日本銀行総裁に三重野氏が就任しました。ここから、高金利政策と銀行の資金流通量の制限による、バブル退治が始まったのです。バブルは、まもなく終焉することになりました。しかし、その時には既に日本人には、過去の輝かしい栄光を自らの手で勝ち取るのに必要不可欠なものが、失われてしまっていました。タイの人々が家族のように大事にしている水牛が、日本ではネコやイヌの餌になるという事実を、経済格差を理由に平気で見過ごせる精神構造に、日本人はなっていました。米不足の時には、大量のタイ米が捨てられ、タイの人々の恨みを買いました。日本で消費される食糧の40%が、残飯として捨てられるようになりました。(僕が小さい頃には、娯楽番組が食べ物を粗末にすることを本気で怒る人が大勢いました。)「天啓」と言えるような現象が立て続けに起きました。米不足を引き起こした、異常な長雨の年の次には、雨がほとんど降らない異常な酷暑の年となりました。戦後最長の不景気と、異常気象は、人々に不安を植え付けました。しかし、まだ人々には不安を否定するだけの余裕がありました。まだこのころには、「景気はいずれ良くなる」と本気で信じている人がいました。まるで反省を行わない日本人に見切りをつけたかのように、「日本株式会社」の小型版、「神戸株式会社」に、阪神大震災が起こりました。具眼の人は、この震災において、はからずも日本人がいかに崩れてしまっているかを読みとりました。真っ先に神戸に入り、救命活動を活発に行いながら、遅れてやってきた警察に追い出されたヤンキーたちと、頭でっかちに理屈ばかりをいい、逡巡しては何も行動を起こせなかった「真面目な」学生たちとの好対照。震災の規模を把握できず、10万人要請すべきを「職業ボランティア1000人」だけを募集した地方自治体の長の感性の欠如。行政の発表を愚かにもそのまま報道し、多くの人命をむざむざと消えていくに委せることになったマスコミの判断能力・批判能力の欠如。救援の手がさしのべられるのををただ口を空けて待つだけのように見える、気概の欠片も見えない人たち。・・・「あれは自然災害、だから仕方がなかった」といういいわけを日本人に許さぬ出来事が、程なくして起こりました。オウム真理教による「地下鉄サリン事件」。人々はもはや、この国が抱えている最大の問題は、政治でも経済でもなく、「人間」であることを認めなければならなくなりました。心理的に、日本(ひいては人間)の根本的な改革が行われない限り、人々は景気が良くなるような動きを差し控えるだろうことが、漠然とではあるもののはっきりしてきました。そして、ばく大な政府の累積債務が重要課題として浮上してきました。これまで国をリードしてきた官僚は自信を喪失し、自浄能力を失っていることがはっきりしました。日本は、この後遺症から立ち上がれるでしょうか?

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