2010年5月18日火曜日

ガサツな日本3(愛国心について)

愛国心を言い立てる人の中に、他国をやたら悪く言う人が少なくない。 まるで、愛国の情は他国の嫌悪とセットでなければならないと思っている節があり、特に中国や韓国のよいところを指摘すると、まるで愛国心がないかのように批判されるという憂き目に遭う。 「自分の国が一番」と訴えることこそ愛情の証と考えているのだろうか。 だとすれば、愚かな話である。
・・・愛情の深い、そして賢い母親は、我が子のことをこんな風に言う。 「世間から見れば何の変哲もない、むしろいろいろ至らないところのある子かもしれませんが、私にはかけがえのない、かわいくてたまらない子なのです。」 ほかの何ものにも代え難い、深い愛情を抱きながら、我が子を客観視する冷静さも併せ持つ。 賢い母親はそういうものだ。
ところが、愛情は深いが愚かな母親というのもいる。 我が子が一番、自分の教育方針は絶対正しいと思い込み、批判めいたことを一切許さず、噛み付いてばかり。 「ウチの子が悪いって言うんですか!よその子だってやってることじゃないですか!ウチの子はちっとも悪くないです!」 万引きをしたら、「万引きをすることになった、この子の気持ちを考えてやってください」とお店の人に言う(なんじゃそれは)。 いわゆる「モンスター親」にはこうしたタイプが多い。 そして、子どもをダメにする。
愛情は大きなエネルギーとなる。 愛することは悪いことではない。 けれども、愛情に溺れ、自分の愛するものを他者も一番に愛さなければならないと思い込み、批判すれば噛み付くというのは、愛情とは呼べない。 それは、愛情ではなく痴情である。
愛情は確かに、深浅がある。 近しく親しいものに深い愛情を覚え、そこから遠くなるほど愛情は薄くなる。 それでよいと思う。 私は、博愛の精神というのを胡散臭いと思う。 すべてを愛する博愛は、神ではない私たちには、実践が難しい。 その現実は認めなければならないと思う。
だが、自分の好きなものだけを愛し、その他のものには一瞥もくれないという心の狭さは、愚の骨頂である。 たとえ愛情は湧かなくても、他者をないがしろにすればいずれ自分の愛するものさえだめにしてしまうということを知る、賢さが必要だ。 周囲の子どもたちに「ウチの子をよろしくね」といって、配慮する賢さがあれば、周囲の子どもは我が子を大事にしてくれよう。 だがもし、愛情が湧かないからといって、よその子には冷たい態度をとる愚かな行動をとれば、愛する我が子がいじめられることにもなりかねない。 愛情ではなく、痴情であるというのはそのためだ。 自国を愛し、批判には噛み付くという愛国者は、そのその心の狭さのゆえに国を誤らせ、ダメにする。
愛国心を訴える人に申し上げておきたい。 もし本当に国を良くしたいのなら、愛国心だけではダメだ。 愛するものを良くするには、4つが必要である。 ひとつは愛情。自分の故郷とそこに住み人々に愛着があると、その人たちのために何かをやろう、というエネルギーになる。愛情は、エネルギーの源泉として確かに必要だ。 しかし、あと三つがなければならない。 二つ目に、知識である。いろいろな国の、いろいろな人々の生き方、文化を知り、それぞれの長所を認める客観的な知識である。明治維新のころ、政府要人のほとんどが海外に行き、新日本の将来を決めるための知識を貪欲に吸収した。尊皇攘夷を愛の証と考える偏狭さではなしえない英断であったといえよう。このとき持ち帰った知識があったればこそ、日本は西洋列強に飲み込まれずに済んだといえる。 三つ目に、知識を血肉にする、現場力である。たとえば、教育マニュアルどおりに子育てしようとして、うまくいかない若い親が結構多いのが目に付く。子どもは一人一人違うので、マニュアルどおりにいかないことばかりだ。マニュアルは概論でしかないので、一人一人に適したやり方は、目の前にいる子どもから学び取ることが必要だ。目の前に起きていることから学び取る、現場力によって知識と現実とのすりあわせをしなければ、知識は文字の知識で終わってしまう。 四つ目に、実行する勇気だ。いくら知識があっても、現実に何をしなければならないかが分かっていても、行動しなければ始まらない。実行力がなくては、何もなしえない。
愛情、知識、現場力、実行力。 その4つがそろわなければならない。
愛情をエネルギーにして、誤った考えをもたないよう、知識を吸収し、その知識が文字だけの知識に終わらないよう、現場とのすりあわせをする現場力を備え、その上で実行する。 これらの要素がすべて組み合わさってはじめて、物事はうまく進みだす。
・・・農業でたとえれば、愛情は水遣りのようなものだ。 愛が強すぎるあまり、外からの批判を受け付けないのは、植物を水浸しにして根腐れさせてしまうようなものだ。 程よい水量(愛情)を適切な時間に与える、知識が必要だ。 そして、天候を見ながら水遣りの量を変える、現場力が必要だ。 そして何より、実際に水遣りする実行力が必要だ。
もし自分を愛国者と任ずるのなら、せめてこの4つが必要であることを知らねばならない。 批判を受け付けないのは、愛情ではなく痴情であることを知らねばならない。

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